[ 秩父事件関係資料 ]
吉田村 椋神社 秩父事件百年の碑 


1 秩父事件の概略
                      ( 吉田村椋(むく)神社の境内にある「秩父事件百年の碑」碑文 )
           秩父事件百年の碑

 秩父困民党三千余名の農民が武州秩父郡下吉田村(むく)神社の境内に武装蜂起したのは、明治十七年(一八八四年)十一月一日のことである。

 その要求は負債据置(すえおき)年賦償還、村費軽減、小学校休校、雑収税減免の他徴兵令改正等であった。困民党は自らの体勢を軍隊組織に編成し、私利、私恨、女犯(にょぼん)への軍律は特に厳しかった。

 困民党軍は二日大宮郷に進出、革命本部を設け秩父盆地一帯を掌中におさめた。驚いた政府は急遽(きゅうきょ)憲兵鎮台(ちんだい)兵を派兵、その襲撃の中で困民党軍は九日信州八ケ岳山麓で潰滅(かいめつ)するまで、果敢なたたかいを展開した。

 このたたかいの中で農民の意識はさらに昂揚(こうよう)し、圧制を変じて良政に改め自由の世界を出現させる信念は、益々強化されていった。自由民権期の変革思想が大地で(おの)(くわ)を振るう人々を、必死の行動にかりたてるエネルギーとなったのである。

 秩父事件より百年、自由と民主主義が愈々(いよいよ)重きをなす今日、私たちは、この運動の源流としての秩父事件を、切に思う。

 (ここ)に、父組たちの鎮魂と共に事績を(あき)らかにしその遺産を継承すべく記念碑を建て、自由への狼火(ろうか(のろし))が、わが秩父谷にあげられた(あかし)としたい。                                                          
                                       ( ルビは引用者 )

       昭和五十九 (一九八四) 年十一月一日
  秩父事件百周年吉田町記念事業推進委員会

 秩父事件顕彰運動実行委員会                                                       

 

 


 2 秩父事件の展開
                       映画「草の乱」製作委員会 発行( 20048
                                                映画「草の乱」解説パンフレット より引用
☆ 映画 「草の乱」 は、百二十年前の秩父困民党事件を題材にして自主制作・自主上映の形で作られ、公開された映画です。監督は神山征二郎。主な出演者には、緒形直人、藤谷美紀、杉本哲太、田中好子、林隆三などがいま す。
秩父事件     吉田町教育委員会社会教育指導員
圧制を変じて良政に改め、  秩父事件研究顕彰協議会事務長
自由の世界として人民を安楽ならしむべし     篠田 健一
      

      安政6(1859)年に欧米諸国との貿易が始まってから、日本の最大の輸出品は生糸だった。秩父の農民が
          つむいだ生糸も横浜に運ばれて、外国商人に買いとられていった。明治に入ってからも、秩父の農
民たち
     は、桑の増産や養蚕製糸のための施設・設備の改良に力を入れ、先端技術を学んでいった。そし
て村々は
     生糸景気でうるおった。

         ところが、明治11(1881)年に大蔵卿となった松方正義は、西南戦争で大量に発行した不換紙幣を整理
     するため、歳出を削減する政策を進めた
(デフレ政策)。その結果、明治16年の生糸価格は14年の半額に
     落ち込んだ。これに加えて、山県有朋内務卿は松方正義とはかって軍備拡大のために、たばこ税・酒税・印
     紙税・車税などの増税を強行した。

     明治17年になると世界的な不況の影響により生糸輸出も激減した。このため身代限(破産)の続出と、「負
     債山積の悲況」が出現した。

     
    
   明治1612月、上吉田村の高岸善吉・坂本宗作、下吉田村の落合寅市の三人は、農民たちの惨状を打開する
          ため、秩父郡役所に負債据置年賦返済の「高利貸説諭請願」を行ったが、郡役所は請願を受け取らなかった。
          高岸たちはその後も再三にわたって請願を繰り返し、請願人には3人のほか井上伝蔵・井上善作らが加
          わった。しかし、伊藤栄郡長は「高利借りるも愚、他人のことを願う貴公らは愚なり」と却下した。


      秩父郡には明治
16年までに10人の自由党員がいたが、172月、自由党幹部の大井憲太郎の演説会が秩
          父で開かれたのを契機に、高岸たち
20人が新たに加入した。秩父自由党は、負債問題等の解決のために各
          地で山林集会を開催して困民党を組織しつつ、自由党員を拡大していった。

            9月初旬、秩父大宮郷の田代栄助を迎えて困民党の要求4項目を決定。9月末、高岸ら4人が二八ヶ村の
          連名委任状をもって大官郷警察署へ高利貸説諭方請願を行ったが、受け取りを拒否された。
10月初旬、
          困民党は高利貸との個別集団交渉を展開するが、交渉は決裂、裁判所からは負債農民に差紙
(召喚状)が送
          られた。

   合法的な手段では解決できないと判断した幹部たちは武装蜂起を決定。10月下旬、粟野山集会で蜂起期
          日を
111日、集合場所を秩父郡下吉田村掠神社と決めた。群馬県西上州の自由党員と長野県北相木村
          の自由党に連絡するため、それぞれに使者が送られた。

   11月1日午後8時ごろ、下吉田村椋神社に武装した農民3000人は役割と軍律を承認して、甲乙二大隊
          に分かれて小鹿野町に進軍し、小鹿野警察分署と高利貸を襲った。2日、小鹿坂峠を越えて札所
23番音
          楽寺に集結して、昼ごろ大宮郷になだれこみ、郡役所・警察・裁判所を占拠して、郡役所を「革命木部」とし
          た。役人や警官はすでに逃走していた。2日夜から
3日にかけて、大宮郷に結集した農民は七、八千とも
          一万ともいわれる。

          埼玉県は警察力では対応できないと判断して、政府に憲兵隊・鎮台兵派遣を要請し、秩父から平野部への出口
               をふさいだ。 3日早朝、憲兵隊派遣の報告が入ると、困民党軍は甲乙丙の三隊に分けて大官郷を守備する隊形
               をとるが、「下吉田村に憲兵隊が繰り込んだ」、「熊谷に一揆が起こり中山道までの道は安全」という誤報を信じて、
               甲隊は下吉田村へ(そして大淵村へ)、乙隊は皆野村に進み、丙隊も皆野村に移勤した。3日午後、親鼻で荒川を
               はさんで憲兵隊との銃撃戦が行われ、4日午後には皆野本陣が解体する。

         だが、平野部に進出しようとした一隊五百余人は児玉に向かい、4日深夜、金屋村で待ちかまえていた東
          京鎮台兵と戦い敗れた。もう一隊百数十人は、5日午前、粥新田峠で東京鎮台兵と戦い四散した。皆野村
          から下吉田村に引き返した百数十人は、新たに菊池貫平を総理とし、5日早朝に上占田村塚越を発ち、矢
          久峠を越えて群馬県山中谷に下り、村々で駆り出しを行い人数を増やしつつ、神流川流域をさかのぼって
          十石峠を越え長野県南佐久郡に進出した。しかし、
9日早朝、東馬流で高崎鎮台兵の襲撃を受け敗走し、
          野辺山原でちりぢりになった。

           裁判は短期間で終結し、死刑12名(執行8)、無期・有期徒刑、重・軽懲役33名、重禁固100名、罰金・科料
     
3667名であった。

           秩父困民党は軍隊によって壊滅させられたが、この戦いのなかで農民たちは「沿道の兵と合し東京に上り、
      … …官省の吏員を追討し、圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」などの
     キラキラした言葉を残している。

   

                秩父事件関係略年表 
1854牟(嘉永7) 日米和親条約(開国)/井上伝蔵生まれる(幼名治作)
1858年(安政5) 日米修好通商条約(蘭・露・英・仏とも締結)
1866年 (慶応2) 武州世直し一揆
1867年(慶応3) 大政奉還
1868年(明治元) 王政復古の大号令/五ケ条の誓文/戊辰戦争
1871年(明治4) 廃藩置県/欧米使節団出発
1872年(明治5) 学制
1873年(明治6) 徴兵令/地租改正条例  
1874年(明治7) 板垣退助ら民撰議院設立建白書を左院に提出
1875年(明治8) 愛国社結成/讒謗律・新聞紙条例/江華島事件
1876年(明治9) 不平士族の反乱/伊勢暴動
1877年(明治10) 西南戦争
1878年(明治11) 地方三新法/竹橋事件/参謀本部条例
1879年(明治12) 学制を廃止し教育令/徴兵令改正/愛国社第3回大会
1880年(明治13) 愛国社第4回大会で国会期成同盟結成/
            集会条例・集会条例改正/教育令改正
1881年(明治14) 明治14年政変/自由党結成
1882年(明治15) 軍人勅諭/立憲改進党結成/壬午軍乱/山県有朋,
             煙草税増税をもって軍備拡張にあてることを建議/
            福島喜多方事件
1883年(明治16) 高田事件/徴兵令改正/デフレ不況深刻化
1884年(明治17) 群馬事件/加波山事件/自由党解党/秩父事件/
             名古屋事件/甲申事変/飯田事件
1885年(明治18) 大阪事件
1889年(明治22) 大日本帝国憲法発布/大赦令公布
1890年(明治23) 第1回総選挙/教育勅語/第1回通常議会召集
             大日本帝国憲法施行
1894年(明治27) 日清戦争
       
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