秩父札所めぐり古地図(西武鉄道サービス配布) 秩父市街と武甲山(音楽寺より)
はじめに 2007.2
秩父は室町時代末期以来、観音霊場・札所巡りの地として知られ、江戸に近く、関所を通らずに行けるうえに、あまり広くない地域に札所がまとまってあり、少ない日数で札所を一巡できるということから、江戸時代には多くの人々が遊山や一人前になるための通過儀礼を兼ねたりして訪れてきた所です。
秩父三十四ヶ所観音霊場(秩父札所) について、「秩父札所第1番 四萬部寺」発行の案内パンフレットには、次のように説明してあります。
「 秩父34ケ所観音霊場は秩父郡市6ケ市町村にわたって分布しており、坂東33ケ所、西国33ケ所と共に、日本百番観音霊場に数えられています。秩父札所のおこりは、遠く文暦元年(1234)甲午3月18日開創と伝えられ、長亨2年(1488)の秩父札所番付(札所32番蔵)が実在する事から、既に室町時代末期には秩父札所があったと考えられ、江戸時代になると観音信仰は庶民の心の支えとして流布し、隆盛をみるようになりました。」
「 秩父札所は一巡約86km程で、第1番四萬部寺から第34番水潜寺まで、静寂な山村と美しい自然の風光を背景に、山路をたどり、ある時は谷をわたり、野づらを横切っての巡拝は、秩父札所ならではのものと言えるでしょう。観音信仰の秩父霊場は素朴な中に暖かみのある親しさをもって現世の幸せを求め、救いを求める人々の祈りにかならず安らぎを与えてくれることでありましょう。 」
(「秩父札所第1番 四萬部寺 発行の案内パンフレット」より引用掲載 )
秩父は本当に緑豊かな自然に囲まれた中でゆったりとした気分で巡礼できる所であり、自然の中にうずもれたような古寺のたたずまい・雰囲気をじっくりと味わうことのできる所だと思います。
が、現在の秩父にはもう一つ、日本の近代史を考える時に忘れることのできない足跡を残している地でもあるという側面があります。さまざまな多くの人々が行き来していたこと、そしてまた、それに伴ってさまざまな文化・教養・学問などがこの地に入ってきていたであろうことなども関係していたのでしょうか、明治時代前半期を特徴付けるものの一つである「自由民権運動」の一端ともされる、明治十七年当時の秩父在住の人々が主役であった、「秩父事件」と名付けられた事件の舞台になった地でもあるのです。
1998(平成10)年の秩父行(今回の記録)は、三十四観音霊場の巡拝を主目的としつつも、この「秩父事件」に関係する所を回ってくることも目的の一つとしていました。諸国からの巡礼の人々が心の平安や暮らしの安楽を祈り願ったのと同様に、秩父地方に暮らしていた人々もまた暮らしの安楽を願っていたのです。そうした秩父の人々が何とか最低限の暮らしを自分たちの力で守ろうとして起こした行動の軌跡の一端に触れてみたいと思っていたのです。巡礼を終えた後にそうした秩父事件に関係した所も回ってみましたので、今回の記録にはその記録も合わせて記しました。また、その他に、秩父及びその周辺の主要な寺社、見学・観光箇所もついでに回りましたので、簡単にですが、その記録も記してあります。
なお、この記録は九年も前の記録である上に、初めて、いわゆる「巡礼」に行ったときのもので、勝手がわからずにもたもたしたり、仕事の関係で日数が限られているために時間を優先して、時に軽く参拝して御朱印をいただくだけでさっさと立ち去ったりするという、全くの素人の巡礼の記録ですので、非常に不十分なものですが、廻る順番を考えたりするときにでも多少なりともお役に立てば幸いです。
なお、表中の時間と距離の関係が一定していませんが、距離が上記のようなものであることもありますが、秩父は道の狭いところや入り組んだところも多く、道路状況も場所によってまちまちである上に、一般渋滞、工事渋滞等もけっこうあって、走行速度が一定していなかったためです。
参考書籍等 「 秩父 -観音巡礼- 」 平幡良雄著 満願寺教化部発行 TEL 0479-24-8416
旅の森「坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所巡り」 昭文社発行 TEL 03-3262-2141
「 秩父観音霊場34ヶ所案内図 」
秩父札所連合会 発行 秩父市東町26-7 札所13番慈眼寺内
TEL 0494-25-1170 FAX
0494-25-1268
http://www.chichibufudasho.jp
「 札所巡り
秩父札所連合会 監修 制作 叶エ水企画 TEL 0494-23-2772
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